そろそろ春かなぁ?なんて思っていたのですが、まだ雪が散らついていたり風が冷たかったり・・・
身体、冷やしちゃってるのかな??
ここ何日か、顎裂部への腸骨移植術のため9年前に採骨したところに、痛みが出てきています。痛みを例えると “骨折をした箇所が、後遺症として痛くなる” という感じに近いと思います。とはいいつつ、骨折の経験がないので、あくまでも私の予想ですが・・・。腰全体もちょっとつらいので、やっぱり身体が冷えているのだと思います。

「意識しないようにしよう」ということが逆に意識になって、症状が出ると、苦しい気持ちに襲われてしまう。自分を保つために、「意識しないという意識」をわたしはしているのかもしれない。中途半端なもどかしさと共にいる自分。痛むと身体に敏感になることは当たり前かもしれないけれど、休憩時間がやってきたのかなという気持ちで、温かい布団に入ろうと思う。
2005.03.28 光りと暗闇
暗闇のなかに見える、宝石箱をひっくり返したような明かりは、あなたにどう映ってる?

光りは、その周りが暗闇だから輝いて見えるんだよ。暗闇が光りを支えているんだよ。元気なあなたや笑っているあなたも好きだけど、悩んだり落ち込んでいるあなたも大好きだよ。だから安心して、いろんなあなたを見せてほしい。教えてほしい。

あなたの心は落ち着いてる?うまく呼吸できてる?
要らないプライドやプレッシャーは手放してみてもいいんだよ。
友達のところに遊びに行ってきました。いつもと違う場所に行って、違う風に吹かれたいという気持ちがありました。というのは、バイトを始めてから、人と接することが怖くなったりして、少しでも気分転換がしたかったんですよね。

自分が注意できたところももちろんあって、次はどうしたらいいいか、どこを気をつけていけばいいかを考える。そして、わかりやすいようにゆっくり話すようにすると、聞き取りやすさが違ってくるのかもしれない。それでも、発音は限界があると思う。このことを受けとめていくのは苦しいけれど、これも前に踏み出す一歩なのかもしれない。
何でもプラスにとらえようとしても、心では難しかったりする。それなら、気晴らしを取り入れると楽になると思う。ゆっくり語れたとかじゃないけど、見慣れない風景をみることも、心を開放してくれる手助けをしてくれた気がする。これからも、開放できる場所を大切にしていきたい。
「トラウマになってる・・・?」と、相談した先輩に聞き返されたとき、これをトラウマというんだ・・・と、はじめて気づきました。

発音の不安を一人で抱え、親とオープンな関係が築けずにいたわたしですが、自分らしさを出せるようになってきた背景には、先輩との会話やメールがありました。
「携帯のMOVIEに、友達と遊びで録音して聞いたときがあるけど、自分が思ってるのと違うんだなって思ったよ。だからみんな、思ってるのと聞こえるのは違うよ」
この言葉は、わたしに大きな安心感を与えてくれました。わたしが抱えていたことはおかしいことではなかったのかな・・・この感覚を受けとめてくれる人はいるんだなぁと感じました。
「自信もって人に何でも言えるように努力すればいいと思うよ」
先輩は、わたしが殻を破れるように、自信をもって自分から変わろうとしていくことの大切さを教えてくれました。
「意識しないようになれば一番いいと思うよ」
先輩には、発音のことしか話していないのですが、手術の傷跡にしても発音の不安にしても、跡形もなく消すことはできません。それが心の傷になっていると、乗り越えることはなおさら大変です。意識するときの度合いが違うということは、思い出さない時間も存在するわけです。意識しないときは、気持ちが楽でいられます。先輩の優しさをすごく感じた言葉でした。

「病気や障がいを抱えている人とどう接したらいいかよくわからない」という考える人がいたとします。これは、コミュニケーションというテーマのなかに、“障がい者とのコミュニケーション”というレッテルを貼ることで、レッテルを貼った人がテーマを難しくしているにすぎないのです。
貼られたものが壁になって、意識になって、傷になります。それでも、前を向きたい気持ちがあったなら、わたしは歩いていける気がします。

わたしにとって、先輩との出逢いは最高の出来事でした。時間が少しずつ、不安や葛藤を、特別なことではなくしてくれると思います。
先輩がわたしに前を向くことを教えてくれたように、わたしも、心の傷や悩みを抱えている人を支えていきたいです!!話せたことで、夢への思いも強くなり、自分を見つめ直すこともできました。

「Happyコミュニケーション」1〜5まで、大学2年目に感じた思いでした。
わたしは、人と話すのが怖いことやときどき感じる不安を、発音や傷跡のせいにしてきました。
はじめて怖さを話せたとき、「怖いのは人見知りのせいなんじゃない?」という言葉をもらいました。それもあるかもしれない・・・だけど、わたしが持ってきた感覚が、人見知りの性格になったのかな??と感じたんです。
気持ちが楽にならないまま、時間が味方をしてくれました。

不安や怖さを、障がい (病気) のせいだと結びつけることは簡単だということ。だけど、この気持ちをそのせいにしなくてもよくて、思い込みが怖さを生んで意識になっているということ。この性格なんだと構えたほうが、よっぽど楽だということ・・・。
このことに気づくことができて、はじめて話せた人が言ってくれた言葉を、やっと実感として理解することができました。病気のせい (いまいち、障がいというか病気というかはわかりません。ですが、それぞれの価値観、とらえ方によって決められるのだと思います) でこうなったのではなく、わたしはもともとこの性格で、たまたまこのこととつなげてしまったんです。
トラウマを消すことはできません。思い出すこともあるでしょう。でも、そのことと性格は一緒にしなくていいと言い聞かせることにします。
自分の殻に入りそうなときも、この構え方に気づけてから、少しだけですが気持ちが楽になりました。
「何を言っているかわからない」と言われても言い返せなくて、言い返したとしても伝わらない、だとしたらわたしはどうしたらいいの・・・?

この気持ちから楽になりたくて、話せる人に苦しさを打ち明けて、しばらく泣いて・・・泣くのも嫌になった頃に思ったんです。落ち込むところまで落ち込んだら、上がっていくしかないんじゃないか?つらかったことに気づいたから思い出しちゃったこともあって苦しくなったけれど、それは自分に気づけたことなんじゃないか?またこの悪循環に出会っても、支えてくれる人がいて、わたしは一人じゃない・・・と。

ボランティアを通して、一生懸命伝えようとしていることを一生懸命受け取りたいと感じました。このことは確かなんだけれど、状況を変えよう、変えなきゃと意識しすぎている自分もいました。とにかく自分から何かしなきゃと思いすぎていました。しかしそれが、逆効果になっていました。ときどき不意に襲ってくる不安を、自分のなかに溜めていってしまい、吐き出せる場所があっても、そのことにおびえすぎていました。人と関わることが怖くなって、どんどん臆病になって、自分から殻に住みついて、自分から怖さを作っていました。

わたしは焦っていたようです。もっと力を抜いてもよかったみたいです。
気にしていても進まないし、進めないんですよね。苦しくなったときは仕方がなくて、そんな自分のことも受け止めて、そこからまた前を向こうと思えば自信もついてくる。わたしは、必死になって自分を受け止めようとしていたのだと思います。

大学で福祉を学んでいると、色んな言葉 (単語) が出てくることは当たり前です。でもわたしからみて、好きではない表現や、言ってほしくない言葉だったこともありました。それが自分のなかに残ってしまい、その場から逃げ出したいというより消えたくなったのです。言った相手 (先生) がよくないとかではなく、ただそこにいることがつらく、自分が切り離されている気分になってしまったのです。

「自分が思っているほど相手は気にしてないかもしれないから・・・気にしてないっていうのは話してる声ってことね」
この言葉をもらって、わたしは感じました。 怖がらないで、自然に話しても大丈夫なのだと。相手に言ってもらった言葉は、もっと気持ちを楽にして信じてみてもいいのだと。それを、うまくできていませんでした。
相手の言葉を信じたくても、これまでの感覚からすぐに離れられなかったのです。これがトラウマと言うのでしょう。ずっと(19年間)、誰にも話せないできたことなので、相手の言葉を受け止めて自分に取り入れることに時間がかかったのかもしれません。
勇気を出したい。少しずつ心を開きたい。いつでも自分にできることは、困難に出会ってもなんとか乗り越えたいという気持ちを持つことなんだと思います。
わたしは大学の合間に、ときどきボランティアをしています。そのなかで、心を動かす出会いがありました。身体障がいの方が主に参加している、パソコン教室のサポートをしていたときでした。
言葉があまりはっきりしない子の隣につくことになりました。彼女は、パソコンを覚えようと一生懸命でした。わからない箇所があるとわたしに聞いてきて、わかりやすいように説明すると、本当に理解したときに、身振りつきで、「わかった」という返事をくれました。「今、コミュニケーションは確かに成立したんだ」、この何気ないことに嬉しさを覚えました。気持ちが伝わりあうことは、すばらしいことで、このことにいつもは気づいていないだけなんだなぁと。

気持ちをうまく受け取れないときは、その状況から相手の気持ちを推測してみる といいのだと思います。それで、もし考えていたことが同じだったら、嬉しくなります。違っていたら、「今度こそ」と思います。聞き返すことは、よくないわけではありません。どうしてもそれが必要なときもあるからです。しかし、何度も言い直しをさせると、そのことに敏感になってしまい、話すことが嫌いになるケースもあると思います。
発音について客観的にみたことはほとんどなかったわたしにとって、相手の気持ちや言葉をよく聴くこと、話す楽しさや安心感を感じられるように付き合うことがとても大切だと感じました。意識させてしまうと、話す楽しさがわからなくなります。話す楽しさは、意識させない環境のなかで芽生え、育っていくのではないでしょうか?
自分が彼女の立場に普段は立っているからこそ、一緒にいて楽しかったと感じてもらいたい、相手にとってサポートしてもらってよかったと思われるわたしでいたい・・・と強く感じました。

自分の経験があるから、同じような境遇の人を思える。話す楽しさを伝えたいという気持ちがあふれてくる。苦しいとかつらい気持ちであっても、それは自分の財産になって、夢につながっている。過去の事実は変わらないし、完全に消えることもないけれど、その意味はあとから変えることができると信じたい。
夢への思いが高まった出来事でした。
過去の光景 (これまで受けた視線、言葉など) をいきなり思い出し、涙が止まらないこともあります。この文章も、苦しさと一緒に書いています。苦しいなら書かなければいいと思う方もいるかもしれません。でも、苦しさのなかで、前を向くことを知りつつあるので、こうして言葉にしようとしています。

「はじまりの原点(初記事)」でも話しましたが、このことはずっと一人で抱えていくものだと思っていました。というより、抱えていかなければいけないんだろうなぁと。でも、それじゃぁやっぱり苦しくて、同じ学部の先輩に話すことができました。どう話していいのかわからなかったけれど、どうして今苦しいのか、自分の言葉で最後まで伝えることができました (発音を意識してしまうことにより感じる、人と接する怖さについて)。
相手も、一つ一つゆっくり聴いてくれました。わたしが何かを抱えていると相手が気付いてくれたのですが、話せる雰囲気を作ってもらっても、なかなか言葉にできませんでした。それでも、話せるのを待っていてくれました。相手の反応というよりも自分を出すことが怖くて (自分を受け止められていないという気持ち)、自分をどこまで出していいかわからなくて (受け止められていない自分をオモテには出せないという気持ち)、ずっとそうした感覚のなかにいました。
「一度もそう思ったこと (発音を気にしたこと) ないよ。今、話してて気にしてる?」と言ってくれて、発音そのものは (相手対してこのときは) 意識しないで話せていました。
「自信もっていいんだよ」と言う言葉に、嬉しくて、嬉しくて、前を向きたい、前を向かなきゃと思いました。このことを誰かに話せるようになったということは、その分自分で受け止めることができているのかなと思いました。

「誰でも抱えていることはあるし、それを悩んじゃうことはいいんだけど、どう乗り越えていくかも大切だと思うんだよね」
だけど無理にとか、すぐにではなくても、自分のペースで大丈夫なんだと感じました。

友達にも話しました(こちらはメールでしたが)。「過去に受けた傷を忘れることができなくて苦しめられていること、苦しみから逃れようと頑張っていること両方が、聴く側にとっても苦しいよ」という言葉に、胸がいっぱいで・・・「無理に感情を抑えることはないし、怖くて泣いちゃう夜もあっていい」という文章を、何度も何度も読み返しました。
殻から一歩抜け出せた分、苦しくもなるけれど楽にもなると思いました。話せた人 (聴いてくれた人) がいたことに、幸せの意味を実感しました。傷ついた原因に「人」が含まれていたとしても、それを包んで癒してくれるのも「人」なんだなぁと。
苦しさを少しでも乗り越えた自分に会いたくなりました。
昨日、ハタチになりました!あまり実感はないのですが、十の位が違うせいか(?)19と20の違いって大きいんだなぁと感じています。もう戻れない時間もあるわけで、誰でも過去を振り返ると思うのですが、そこから自分はどんな力をもらって、これからの糧にしていけるかが大切なのではないでしょうか?これができると、苦しい体験も自分が成長するための出来事だったんだと受けとめられる気がします。

わたしは「口唇口蓋裂」という病名を親から教えてもらったことはないのですが、知った理由について少し触れたいと思います。何かの病気だということは、入院や通院をしていた以上、検討がつきますよね?高3の秋、“生まれたときから”だということを聞かされました。大学に入ってから、本やネットを通して同じ症状を探し、腰の痛みで通院していたとき(大1の冬〜大2の夏)に病院の先生がこぼした「口蓋裂の・・・」というお話、そのあとで確信したのは、偶然みつけた母子手帳の1ページでした。
ほぼ予想できていたことですが、気持ちは苦しくてたまりませんでした。確かに、小さいときに説明されても理解できなかったかもしれない、でも、自分でこのことを知ったとき、それはもどかしさのはじまりだったのです。
自分のことなのだからもっと知りたい、情報を集めたい、そう思っても、具合が悪くなって、何も考えたくない日もありました。だけど、自分では気づかなくても、少しずつ受けとめられるようになってきているので、こうしてHPを作ることができたし、言葉にすることができているのだと思います。
思えば、“チガウ自分”を気にしつつも、意識しないでこれた場面が多かった。そう考えると、病名を教えないできた親には感謝なのかもしれない。知ったことで、それまでなかった壁を自分で作ってしまったけれど、一度の人生の中で自分に与えられた、「生きるための壁」なのかもしれない。闘いは続いていくけれど、闘いがある人生のほうがわたしは好き!!ハタチからまた、自分探しの旅を楽しみたい☆☆
ほかの人と何か違うものをみるような視線を浴びたり、違う声だと非難されることによって、それが深い傷になり、なかなか消えない記憶、消せない苦しみに変わっていきます。そのことが心に募るたびに、人が怖くなって、バイト中に手が震えたり(レジも扱うので)笑顔ができなくなる場面もありました。
それでも、「お店何時までやってるの?頑張ってねぇ。」「雪降ってるから風邪ひかないようにねぇ。」というような言葉をかけて帰ってくれるお客さんもいっぱいいて、人の温かさを感じる心も私には残っていました。
“傷ついた分、優しさや思いやりがある人になりたい”
そう感じました。
誰にも話せなくて、一人で抱えてきた怖さ。そのことを先輩に打ち明けた日から早7ヶ月。
あのとき、海を見ながら、夜風に吹かれながら、わたしは何を思い、考えていたのだろう。特別意識していたわけではなかったけれど、やっぱり苦しかった。真っ暗闇を見ていると、これが自分の居場所なんだと妙に納得して、心が落ち着いた。だけど、この場所にずっといたいわけではないと、もう一人の自分が叫んでいた。
何気ないメールのあとで先輩から返ってきた、「思いつめてるみたいだね?」という言葉。心の奥を見透かされた気がして、胸がいっぱいになったけれど、このメールが、自分を打ち明ける勇気をくれた。
先輩と会ったのは、それから4日後。ちゃんと伝えられるか不安だったけど、抱えていたことをはじめて言葉にした。すごく優しく聞いてくれて、「うまく言えなくてごめんね」と言いながら、先輩の言葉で返してくれた。表現が変かもしれないけれど、生きていてよかったと思った。生きるのが怖くなるくらい自分で自分を追い詰めていたことに気づき、思いきり泣いてしまいそうだった。それは、幸せの意味を実感した瞬間だった。

7ヶ月経った今でも、日々直面する怖さが完全に消えたわけではない。でも、わたしの怖さを受けとめてくれた先輩、一緒に笑ってくれる友達がいるから、これからもたたかっていきたいと思える。ネットを通して出会えた方や相談に乗ってくれた方がいたから、夢を現実にしたいと思える。先輩は今月、大学を卒業して、春からはまた、わたしの何歩か先を歩いていく。これからどんな出会いがあったとしても、先輩に出会えたことはわたしの誇り。私を支えてくれているすべての方へ感謝をこめて、わたしは、わたしなりの道を進んでいきたい。
息苦しさや不安におそわれたり、腰の痛みが続いたりすると、殻を破るのを怖がる自分が増えていく。その一方で、そんな自分への苛立ちや苦しさも生まれてくる。
それでも言える確かなことは、この季節のあとは春だということ。腰の痛みも、温かくなるときっと楽になっていくと思う。神経質になってしまいがちだけれど、今だからこそ感じられる気持ちや痛みなのかもしれない。それも自分なのだと受けとめていきたい。春になったとき、この季節も無駄じゃなかったと、そう思えるようになっていたいから。
2005.03.05 心のつながり
先月の26日から今日まで、長野県でスペシャルオリンピックスが開催されました。スペシャルオリンピックス(SO)とは、知的発達障がいのある人達に、日常的なスポーツトレーニングとその成果の場である競技会を年間を通じて提供し、社会参加を応援する国際的なスポーツ組織です。3年B組金八先生でも取り上げられましたよね☆
創始者は、故ケネディ大統領の妹ユニス・ケネディ・シュライバーです。姉のローズマリーに知的発達障がいがあったことにより、知的発達障がいの人達にもスポーツを楽しむ機会を与えたいという願いが生まれ、自宅の庭を開放して開いたデイキャンプが始まりでした。

日常的なトレーニング=SOに参加ということになるわけですが、わたしも以前、バスケットボールプログラムに何度か参加させていただきました。ボランティアとして、スポーツの楽しさを共有しました。アスリート(SOでは、参加している知的発達障がいの人達をこう呼びます)は、シュートが入ったり、できなかったことができるようになると体全体で喜びを表現していて、その姿に、自然に笑顔になっている自分がいました。
大会の成績だけではなく、その人のこの前できなくて今回できたことをほめて評価する、一人一人の可能性を引き出すことに視点をおくというのがSOにはあって、その中で得られる、言葉、行動、能力では計れない「心のつながり」こそが共に生きるなかで大切で、SOから教えられるものは心のバリアフリーの実現につながると実感しました。
今回はニュースやネットでしか大会の様子がわからなかったのですが、いつか生で感動を味わってみたいです。

私が持っている参考文献
1、遠藤雅子著『スペシャルオリンピックス』(集英社,2004年)。
2、太宰由紀子著『ゆっくりゆっくり笑顔になりたい』(スキージャーナル,2003年)。
だんだん気持ちが落ち着いてきて、変わろうと踏み出していなければ、苦しいという気持ちにもならないんだなぁと気づきました。その過程には、どんどん深みにはまって、何に落ち込んでるんだろう?何がよくないの?と考えることだけがうまくなっていく自分がいました。自分を苦しめたくはないけれど否定したくなって、この場所にいていいの?私はどこへ向かうの?と、声にならない声で叫んでいました。

でも、急がなければいけない必要はないんですよね。葛藤は苦しさの連続だけれど、そのときの感情は否定しなくてもいいんですよね。あってもいいんだ、自分を保つための気持ちなんだ・・・そう思っていいんですよね。この感情を持ってしまうと不安しかないと決めつけてしまうので、苦しさを増すことになるのだと思います。
感情と仲良くなることは勇気が要るし難しいことなんですけど、気晴らしを見つけながら、ときには心の休憩をしながら、ゆっくり歩いていきたいです。