「頑張れなくなったら、いつでも話してね」

前から仲が良かったのですが、大学に入ってから、より深く話せるようになった友達の言葉。すごく嬉しかったし、自分も相手にとって、寄りかかれる一つの場所でいれたらいいなぁと感じました。
小学5年生の頃に行った、顎裂部への自家移植によって、採骨部分である左の腰に違和感を感じた時期がありました。心配になりすぎて病院で検査を受けたとき、内部には特に異常がないと言われ、わたしのなかに大きな安心感が降り注いでくれました。去年の初夏の出来事でした。
そのとき以来、多少の違和感(つっぱる感じ??)または痛みを感じたときは何度かあったのですが、不安さは検査以前より感じないで過ごすことができました。それと、違和感が出てからは、横になるとき(長時間)に左側を下にする(左側を向く)ことを少なからず抵抗していた気がするんです(自分が気づかない寝返りなどは別として)。体重がかかって押される感じになるんじゃないか?という感覚がありました。ですが、こうした体勢についても悩むことが減ってきて、最近は気持ちも楽な状態でいれてるなぁと思います

朝夕は少しずつ涼しくなってきているので、冷やして痛みが出ないように体調管理を心がけていきたいです。
すっかり秋ですね
今週からは後期が始まりました。ついにあと半年で卒業かぁ・・・って、ここまでくるとなんかいろんなことを考えちゃいますね。
何気ない風景でさえ、すごく大切に思えてきて、今感じている気持ちをずっと忘れないでいたいなぁとか、悔いが残らないような体験を重ねて卒業を迎えたいなぁとか。

それと最近周りに言われるのが、「もっと肩の力抜いていいんだよ」
自分でもそう感じる部分がやっぱりあって、だけどなかなかそれができなくて、自然な自分を出せないでいるなって思ってたりします。ゆっくり景色を眺めてみたり、楽しむときは楽しんで、毎日を過ごしていきたいです。
自分のなかにある体験を元に戻すことはできないけれど、
苦しさや寂しさから顔を上げていくことはできるよね
元気になれないとき
自分をどうやって肯定してあげよう??
周りとはどんなふうに関わっていこう??
とか・・・いっぱい考えてしまうよね

ゆっくり深呼吸をして、自分でいられる場所を探していって
不安定さを抱えながらも見つけることができたとき
自分という存在に気づき、自分がそのままでいられる状態に戻っていけるんじゃないかな

周りの波は気にしなくてもいい
焦らずゆっくり歩いていって
自分の魅力に気づいたときは、はばからずに抱きしめてあげよう
精神疾患の大半を占めている統合失調症。この病気に罹患した、天才数学者ジョン・ナッシュの半生を描いた『ビューティフル・マインド』という映画があります。

精神疾患の患者さんは、病識(自分が病気だという認識) がなかったり、自分の病気を受け入れる(症状とうまく付き合う)ことが苦手だとされています。その反面、自分が病気であることを受け止め、自分なりの整理ができている方も、多くはありませんがいらっしゃいます。
実習のなかで、後者の患者さんとお話させていただいたときに、『ビューティフル・マインド』という映画を勧められました。「映画を観ると精神科の患者さんのことがよくわかると思います。入院していなかったとき自分も観たことがあって、こういう症状が出て、こういう気持ちだったなぁ…という主人公と一緒の部分があったので、まだ観たことがなければぜひ観てください。」ということでした。

実習が休みの日、さっそくDVDを借りて観ました。当事者のことが思いのほか、わかりやすく描かれていました。幻聴・幻視や妄想などによって、現実と症状の区別がつかずにいるということは、すごくこわいことなんだと画面から伝わってきました。自分のなかで起きている症状をいかに受け止め、コントロールしていくか。周りの方々は、どう関わっていくか。
病気の症状ゆえのトラブルにおいても、「トラブルが起こる本当の理由がわからない」ということが、大きく関与しているのではないでしょうか。当事者にとって、自分の病気を受けとめたとき、受けとめたことで認識した、“現実との区別がつかないという計り知れないこわさ”が出てきてしまいます。それは、人と関わること、物事に取り組むことなどの、“社会で生活する不安”=“生活のしづらさ”となって当事者を苦しめているのだと思います。

『ビューティフル・マインド』という映画があることは知っていましたが、観たことはありませんでした。患者さんの病前性格としては、真面目で几帳面、責任感が強かったり「完璧」にこだわる といったことがあげられ、高学歴の方が多いです(あくまでも、傾向です)。
精神疾患がどんなものなのか、罹患者はどんなことを抱えているか、自分なりに想像しながら理解につなげていけたらいいんじゃないかと思います。吸収できるものが多い映画なので、当事者を“知る”助けとして、お勧めの作品です!!
実習中、クライエントと関わるなかで、「何がどうしてニーズになっているのか」ということを考えたとき、ニーズ(充足すべき課題)に対する自分の見方に変化がありました。

「妄想」について
長い間持っていると、それが生活の一部になっている患者さんもいます。このとき、妄想をどうとらえるかによってその付き合い方が変わってきます。楽しい妄想であれば、なくなることで不安になる患者さんもいて、たとえ、精神疾患の症状による妄想を持っていても、それが生活の中でどのように現れているか、周囲との関わりがどうなっているかが焦点であり、持つことで自分が苦しんでいたり、周りへの迷惑行為になっていなければ、よくないものととらえる必要はないのではないでしょうか??服薬あるいはその他の治療プログラムによって、自身がどうコントロールしていけるかが大切になると思われます。

金銭管理に困難を抱えている場合
「金銭管理ができない」という部分ではなく、「できるようにするための方法には何があるか」とところに視点をあてます。すると、「通帳を保管する場所を固定する」「通帳を預かってくれる社会資源を提案する」といったことが考えられ、方法についてわかりやすく伝えていくことが必要になります。方法は、クライエントが主体となって取り組めるように、一緒に実践しながら、生活に取り入れていく段階をサポートしていきます。
このようにクライエントの希望に沿って、「○○ができない」 →「○○という方法がある、○○という手段も検討できる」というコーディネートをしていくことがPSW(精神保健福祉士)の専門性になっていくのではないでしょうか??
実習での貴重な日々を、紹介したいと思います。

“精神科”というとどんなところなのか、どんな患者さんがいるのか??
これは、実際の場に行ってみてはじめて感じることが大変多かったです。
現状として、患者(利用者)さん・その家族の支援システム(社会復帰施設等)の普及、精神科医療の発展によって、入院しなくてもいい(外来の)患者さんが増えたということがあげられます。そんななか、何年か前までは退院後の地域社会の受け皿が整っていなかったんですよね。入院患者さんのなかには長期入院を余儀なくされてきた方もたくさんいらっしゃるので高齢化の傾向にありますし、今であれば入院しても短期で退院できる可能性が広がったということで、入院期間は「二極分化」をもたらしています。なので、支援を考えるときは、精神保健福祉の制度あるいは施設だけではなくて、介護保険や高齢者施設も視野に入れていかなければならないということになります。

病院の患者さん、福祉サービス(施設等)の利用者さんは、精神疾患そのもののつらさ以外に、罹患したことによる“生活のしづらさ”を抱えていて、これが当事者を苦しめている大きな要因だと実感しました。
“生活のしづらさ”がどんなものかについて説明させていただくと・・・統合失調症であれば、幻覚や妄想という症状があります(患者さんみんなではありません)。これは、真実ではないことを信じてしまうことで、それに支配された言動をとってしまうのです。このときの周囲の方の対応として、内容を否定をせず、話を「聴く」という姿勢が大切になります。罹患者は、感情をまとめることが苦手になっているので、話してくれたことを受け取った側の言葉で返していくことが、安心を伝えていけることにつながります。ものの見方や感じ方は誰であっても異なりますが、精神疾患の症状としてみられる感覚については、相手のなかにある思考をストレートに受け取る(理解する)難しさが大きく、これが“生活のしづらさ”なのかなとわたしは感じました。
また、精神疾患が青年期に発症しやすいことや、その後の治療に時間を要することから、社会的経験の不足(そのため、生活のスキルをもともと持っていない)があげられます。これは、生活リズム、その人らしい生活スタイルを見つけていくために、どんな準備をしていけばいいか考えてみると、ニーズ(目標に向けた課題)が見えてくると思います。服薬管理、服装の整え方、余暇の過ごし方、お金の使い方、対人関係等があり、それを一歩ずつクリアしていくことが“生活のしやすさ”になっていくのではないでしょうか。
実習を終え、実家に戻ってきました。

実習中は、近くにいる友達や先輩と会うこともでき、実習先への宿泊についても、ステキな環境を用意していただいたので、ホントに楽しく過ごせた一ヶ月でした。
積極的に導入していた多くのプログラムを体験できたことや、入所メンバーさんと同じ環境で過ごせたことは、多方向からの支援方法を考察し、また自分と向き合っていく上でも、大きな収穫になりました