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カウントstart 2007.2.25
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以前参加したボランティアのなかで、ある出会いありました。その方は、話し言葉に聞き取りにくさがあり、それをスムーズに受け取れない自分が悔しく、申し訳ないとも感じました。わたしにとって「相手の視点に立ったコミュニケーション」に強く疑問を持った出来事(2004年12月14日参照)で、社会福祉実習の機会に、このことと向き合いたいと思いました。
実習初日、偶然その方と再会しました。ショートステイでの利用だったこともあり、ほとんど関わることができなかったことが悔やまれるのですが、相手の視点に立つということがどんなことか、自分なりに考えることができました。それは、下手に構えようとせずにその人そのままを受け入れた関わり、非言語からも気持ちを受け取りたいという、相手を思いやる姿勢なのだと思います。

コミュニケーション(communication)とは、話し手と受け手の二者が感情と思考を伝え合う行為です。その語源は、ラテン語のcommunicare(共有する)であり、両者がメッセージを共有することによって、その形ができあがっていきます。これは、社会生活を営む人と人とが、つながりを形成していくために不可欠なことといえます。
コミュニケーションにおいて、「聞き返し」はよくあることですよね。これは、特別・・・という意識が入るものではないとわたしは考えています。そんなとき、気持ちが楽に感じる、相手との空間を続けたいと思える、楽しいコミュニケーションを追求できたらと思いませんか?
コミュニケーションは、話したい言葉、伝えたい思いがあり、それを聞きたい、受け取りたいという気持ちが向き合ってこそ成立します。関わりのなかでお互いを知り、心が開かれていくと、発した言葉を越えて、表情や視線からも気持ちを通じ合わせられるようになります。それは次第に“慣れ”へと発展して、両者の距離を近づけてくれます。
このように、自己を表現し他者を理解する手段は、固定されているものではなく、気持ちを送受信しやすいように両者が工夫をしながら生み出していく、こうした図式のようなものがあるのではないでしょうか?
意思の結びつきはどうしたらできるのか、この答えはきっと無数にあるのだとわたしは思っています。また、コミュニケーションのさまざまな形があることで、人と関わる楽しさも広がっていくのではないでしょうか??
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