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カウントstart 2007.2.25
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「障がいとは・2」(2月13日参照)のなかで、障がい(者)の“イメージ”について触れかけたのですが、文献を通して浮かび上がるものについて考えてみたいと思います。

まず正村公宏氏は、息子のことを記した著書*1において、次のように述べられています。

現実には、単一の「障害者問題」あるいは「障害者福祉」などというものは存在しない。社会生活を営むうえで大きなハンディキャップにならざるをえない心身の障害をもっているという点が共通であるというだけで、その障害の内容や程度は、まったく一人一人違う。
障害者自身にとっても、また、障害者を家族にもっている人々にとっても、実は、一般的な障害者問題などというものは存在していない。彼らにとっては、毎日毎日、それとの格闘をつづけなければならない具体的な生活上の問題があるだけである。
そして、その生活上の問題なるものが、きわめて多様であり個別的である。なぜなら、障害者を障害者と呼ばしめている原因あるいは理由が、きわめて多様であり個別的であるからである。

正村氏の著から、“障がい”は、障がい者自身に随伴しているものではなく、社会生活のなかで出会う困難であり、それは、個々によって異なるものであるため、周囲の捉え方もさまざまであるということが読み取れます。

次に乙武洋匡氏は、自身の体験を綴った著書*2のなかで、以下のことを語っています。

たいへん残念なことではあるが、たしかに今の日本では、障害を持った人々が街のなかを自由に動き回るのは困難だし、ひとりで生活することもむずかしい。そこで、多くの手助けを必要とするのも否めない事実だ。だが、障害者をそのような立場に追い込んでいるのは「環境」なのだ。
ボクは日頃から、「環境さえ整っていれば、ボクのような体の不自由な障害者は、障害者でなくなる」と考えている。

こちらの文面から、障がい者を障がい者と見なしているもの、すなわち、実在している“障がい”とはどういったものなのかという、当事者が“障がい者”となっている要因がひしひしとうかがえます。

また脳性麻痺による“障がい”を抱えている松兼功氏*3は、スウェーデンに渡ったときの体験から、行動の制限、偏見や差別は、“社会が障がい者にかけている迷惑”だと捉えています。
これは、その場所(国)によっても感じる障がいが異なることを示しており、わたしは、こちらの考え方に衝撃を受けたとともに、人々の意識の変容の広さを実感しました。


参考文献
*1 正村公宏著『ダウン症の子をもって』(1983年,新潮社)167頁。
*2 乙武洋匡著『五体不満足』(1998年,講談社)259頁。
*3 松兼功著『障害者に迷惑な社会』(1994年,晶文社)
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