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2007.03.26 過去記事・1
まろくん さん(2004年11月30日)
こんにちは。先日は私のHPからお問い合わせメールをいただき、ありがとうございます!

さてさて。早速みらいさんのHPを拝見させていただいたんですけれど、障がい観がとってもしっかりと書かれていて、感心してしまいました。
ただ、当然のことながら、障がいを持つ当事者の間にもいろいろな考え方があるようで、“「障がい」とか「障碍」と書き替えるのは、自分で自分自身を逆差別している”と言う方もいらっしゃいます。
これについては、実のところ、私も「なるほどなぁ。そうかもしれない。」と思うところがありますねぇ…。というのは、仮にどう書き替えたとしても、障がい者本人が社会の中でさらされている「差別」がなかなか変わってゆかない、というのが現実だからです。
つまりは、いわゆる「健常者」には、頑なな心のバリアがあるんですよね。ですから、障がい者に対する差別がなかなかなくならないし、バリアフリーも進んでゆかない…。そう思うことがあります。

あくまでも「私見」なんですけど(注:決して、みらいさんの言う「障がい」に賛成できない、という意味ではありません。)、「障がい」への書き替えというのは、物理的なバリアフリー整備(たとえば、駅にエレベータを設置するとか、障害者用駐車スペースを整備するとか)と同じで、ほんとうの意味でのバリアフリー(= 心のバリアを取り除くこと)につながっているのかどうか、疑問を感じることが多々あります。
としたら、時には「障害」は「障害」のままでいい…。そう思います。

問題になるのは、障がい者と向き合う「健常者」の心のあり方。要は、障がい者に対しての共感に欠けているんじゃないか(他人事だ、と感じているということ)と思いますねぇ。
障がい者が「(私の障がいを)ちゃんと理解してほしい」という気持ちを持つのは当然ですけれど、でも、理解してもらうというのは大変なこと。まずは「共感してもらう」ことから始めないといけないかな、と思います。

それだけに、ひとりひとりの障がい者が、根気強く「自分の障がい」を外に向けて語ってゆく必要がある…。私はそう思っているんです。
みらいさんのHPには、そういった意味で大いに期待していますよ。恐縮ではありますが、リンクもさせていただいたので、今後ともどうぞ宜しくお願い致します。

みらい@管理人
書き込みありがとうございます☆

というのは、仮にどう書き替えたとしても、障がい者本人が社会の中でさらされている「差別」がなかなか変わってゆかない、というのが現実だからです。
このことは私も考えさせられる部分であり、表現を変えることで問題が解決できるなら、はじめから問題にもならないと思います。表現が変えるものも少なからずはあっても、いわゆる障害者と健常者の中にある心の壁は、それだけなら壊せないですよね。

問題になるのは、障がい者と向き合う「健常者」の心のあり方。
そうですね。私も、心の中にあるものが大切なんだと思います。たまたま先に障がい(病気)を持っている、これから持つかもしれない、その可能性を誰もが持っている、という意識が必要ですよね。

障がい者が「(私の障がいを)ちゃんと理解してほしい」という気持ちを持つのは当然ですけれど、でも、理解してもらうというのは大変なこと。まずは「共感してもらう」ことから始めないといけないかな、と思います。
知ってもらう、共感してもらう、そのあとで、抱えるニーズ(不便な部分)をどれだけ受け止められるか、対応できるか、「理解」というのは、実際に接してみることで、次第に心に根付いていくものかもしれないですね。

それだけに、ひとりひとりの障がい者が、根気強く「自分の障がい」を外に向けて語ってゆく必要がある…。
色んな関わりの中で自分を客観視して、見えてくるもの、楽になれることがありますよね。ですが、外に出せなくて苦しんでいる方の心にも耳を傾けられる態勢も、必要なんだと思います。
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