2006.03.28
Happyコミュニケーション・6
ゼミのキャンプ (2005年7月24日参照) の夜。みんなのテントから少し離れた車の中に移動し、幹事メンバー (わたしを入れて5人) で語り合いました。
その日の感想や幹事としての反省など・・・軽く飲みながら、はじめはそんなことを話していました。自分と向き合う一ヶ月になるであろう社会福祉実習を一週間後に控えたわたしたちは、次第にそれぞれが話したいこと、聞いてほしい内容へ。
わたしの番になりました。このメンバーだから話したい、うまく言えるかわからないけれど言葉にしてみたい・・・そう思える自分がいました。みんながありのままの自分をみせてくれて、そんな空間だったから、何人かの前でははじめて伝えるという勇気が出たのかもしれません。
「みんなでこうして喋ったりするじゃん?うちの声って、聞き取りにくい??」
こんな切り出し方だったと思います。
生まれたときの病気の後遺症だということ、人と話したりするのが特に初対面だと怖かったりすること、聞き取りにくいと言われたことがあって、それを親に言いたくても生まれつきの病気なので親が気にしてしまうと思って親には苦しさを言ったことがないということ、自分で病気を意識してからだんだん受け入れられるようになってきて、2、3人には話したことがあるけれど直接何人かの前で話すのははじめてだということ、自分と向き合うために障がい分野での実習を選んだということ・・・。
言葉にすることに全然抵抗がないわけではなかったので、途中で気持ちが苦しくなったりもしたのですが、みんなが真剣に聴いてくれたことや、薄暗くてあまりお互いの顔がみえなかったこともあって、なんとか話すことができました。打ち明ける怖さは、だんだん安心感に変わっていました。
「聞き取りにくいとか何も考えたことなくて、それが○○ちゃん (○○にはわたしの名前が入ります) だと普通に思ってた」
そのままの自分で大丈夫なんだと思えました。苦しくなるような言葉や視線を感じても、そんなに気にしなくていいのかなぁ・・・と。
「オレも聞き取れない、何言ってるかわかんないって言われて、学校行くのがすごく嫌になった時期があって。声がこもってるって言われるんだよね」
この言葉をもらって感じたのは、こんなふうに受け取ってくれるんだぁ・・・たとえ病気の後遺症ではなくても、自分だけの感覚ではなくて、苦しさとして共感してくれる人もいるんだなぁということでした(しかも、今話しているメンバーの中に)。
「後遺症なの?全然わかんなかった。それに、自分も聞き取りにくいと思うよ」
隣で聴いてくれていた友達は、このように返してくれました。
「話してくれた気持ち、自分もわかるとこあるなぁ・・・」
この言葉をくれたのは、家族に障がいがある方がいるという友達でした。彼も障がい分野の実習を選択していて、将来はその分野に進みたいということ、ゼミで参加したボランティアでみんながその障がいについて理解を深めてくれたのが本当に嬉しかったということ・・・。彼はわたしの前に、こうしたことをみんなに話してくれていました。
それぞれがそれぞれに対して「話してくれてありがとう、聴いてくれてありがとう」と。時間が経つのも忘れて、気付いたら空が明るくなっていました。そこには、少し前より心の距離が縮まったみんながいて、温かくて優しい気持ちが広がっていました。
「実習でつらいことがあったら今日のことを思い出して乗りきろうね、うちらなら絶対大丈夫だよ」
昇っていく朝日を見ながら、そう誓いました。
その日の感想や幹事としての反省など・・・軽く飲みながら、はじめはそんなことを話していました。自分と向き合う一ヶ月になるであろう社会福祉実習を一週間後に控えたわたしたちは、次第にそれぞれが話したいこと、聞いてほしい内容へ。
わたしの番になりました。このメンバーだから話したい、うまく言えるかわからないけれど言葉にしてみたい・・・そう思える自分がいました。みんながありのままの自分をみせてくれて、そんな空間だったから、何人かの前でははじめて伝えるという勇気が出たのかもしれません。
「みんなでこうして喋ったりするじゃん?うちの声って、聞き取りにくい??」
こんな切り出し方だったと思います。
生まれたときの病気の後遺症だということ、人と話したりするのが特に初対面だと怖かったりすること、聞き取りにくいと言われたことがあって、それを親に言いたくても生まれつきの病気なので親が気にしてしまうと思って親には苦しさを言ったことがないということ、自分で病気を意識してからだんだん受け入れられるようになってきて、2、3人には話したことがあるけれど直接何人かの前で話すのははじめてだということ、自分と向き合うために障がい分野での実習を選んだということ・・・。
言葉にすることに全然抵抗がないわけではなかったので、途中で気持ちが苦しくなったりもしたのですが、みんなが真剣に聴いてくれたことや、薄暗くてあまりお互いの顔がみえなかったこともあって、なんとか話すことができました。打ち明ける怖さは、だんだん安心感に変わっていました。
「聞き取りにくいとか何も考えたことなくて、それが○○ちゃん (○○にはわたしの名前が入ります) だと普通に思ってた」
そのままの自分で大丈夫なんだと思えました。苦しくなるような言葉や視線を感じても、そんなに気にしなくていいのかなぁ・・・と。
「オレも聞き取れない、何言ってるかわかんないって言われて、学校行くのがすごく嫌になった時期があって。声がこもってるって言われるんだよね」
この言葉をもらって感じたのは、こんなふうに受け取ってくれるんだぁ・・・たとえ病気の後遺症ではなくても、自分だけの感覚ではなくて、苦しさとして共感してくれる人もいるんだなぁということでした(しかも、今話しているメンバーの中に)。
「後遺症なの?全然わかんなかった。それに、自分も聞き取りにくいと思うよ」
隣で聴いてくれていた友達は、このように返してくれました。
「話してくれた気持ち、自分もわかるとこあるなぁ・・・」
この言葉をくれたのは、家族に障がいがある方がいるという友達でした。彼も障がい分野の実習を選択していて、将来はその分野に進みたいということ、ゼミで参加したボランティアでみんながその障がいについて理解を深めてくれたのが本当に嬉しかったということ・・・。彼はわたしの前に、こうしたことをみんなに話してくれていました。
それぞれがそれぞれに対して「話してくれてありがとう、聴いてくれてありがとう」と。時間が経つのも忘れて、気付いたら空が明るくなっていました。そこには、少し前より心の距離が縮まったみんながいて、温かくて優しい気持ちが広がっていました。
「実習でつらいことがあったら今日のことを思い出して乗りきろうね、うちらなら絶対大丈夫だよ」
昇っていく朝日を見ながら、そう誓いました。
2005.03.23
Happyコミュニケーション・5
「トラウマになってる・・・?」と、相談した先輩に聞き返されたとき、これをトラウマというんだ・・・と、はじめて気づきました。
発音の不安を一人で抱え、親とオープンな関係が築けずにいたわたしですが、自分らしさを出せるようになってきた背景には、先輩との会話やメールがありました。
「携帯のMOVIEに、友達と遊びで録音して聞いたときがあるけど、自分が思ってるのと違うんだなって思ったよ。だからみんな、思ってるのと聞こえるのは違うよ」
この言葉は、わたしに大きな安心感を与えてくれました。わたしが抱えていたことはおかしいことではなかったのかな・・・この感覚を受けとめてくれる人はいるんだなぁと感じました。
「自信もって人に何でも言えるように努力すればいいと思うよ」
先輩は、わたしが殻を破れるように、自信をもって自分から変わろうとしていくことの大切さを教えてくれました。
「意識しないようになれば一番いいと思うよ」
先輩には、発音のことしか話していないのですが、手術の傷跡にしても発音の不安にしても、跡形もなく消すことはできません。それが心の傷になっていると、乗り越えることはなおさら大変です。意識するときの度合いが違うということは、思い出さない時間も存在するわけです。意識しないときは、気持ちが楽でいられます。先輩の優しさをすごく感じた言葉でした。
「病気や障がいを抱えている人とどう接したらいいかよくわからない」という考える人がいたとします。これは、コミュニケーションというテーマのなかに、“障がい者とのコミュニケーション”というレッテルを貼ることで、レッテルを貼った人がテーマを難しくしているにすぎないのです。
貼られたものが壁になって、意識になって、傷になります。それでも、前を向きたい気持ちがあったなら、わたしは歩いていける気がします。
わたしにとって、先輩との出逢いは最高の出来事でした。時間が少しずつ、不安や葛藤を、特別なことではなくしてくれると思います。
先輩がわたしに前を向くことを教えてくれたように、わたしも、心の傷や悩みを抱えている人を支えていきたいです!!話せたことで、夢への思いも強くなり、自分を見つめ直すこともできました。
「Happyコミュニケーション」1〜5まで、大学2年目に感じた思いでした。
発音の不安を一人で抱え、親とオープンな関係が築けずにいたわたしですが、自分らしさを出せるようになってきた背景には、先輩との会話やメールがありました。
「携帯のMOVIEに、友達と遊びで録音して聞いたときがあるけど、自分が思ってるのと違うんだなって思ったよ。だからみんな、思ってるのと聞こえるのは違うよ」
この言葉は、わたしに大きな安心感を与えてくれました。わたしが抱えていたことはおかしいことではなかったのかな・・・この感覚を受けとめてくれる人はいるんだなぁと感じました。
「自信もって人に何でも言えるように努力すればいいと思うよ」
先輩は、わたしが殻を破れるように、自信をもって自分から変わろうとしていくことの大切さを教えてくれました。
「意識しないようになれば一番いいと思うよ」
先輩には、発音のことしか話していないのですが、手術の傷跡にしても発音の不安にしても、跡形もなく消すことはできません。それが心の傷になっていると、乗り越えることはなおさら大変です。意識するときの度合いが違うということは、思い出さない時間も存在するわけです。意識しないときは、気持ちが楽でいられます。先輩の優しさをすごく感じた言葉でした。
「病気や障がいを抱えている人とどう接したらいいかよくわからない」という考える人がいたとします。これは、コミュニケーションというテーマのなかに、“障がい者とのコミュニケーション”というレッテルを貼ることで、レッテルを貼った人がテーマを難しくしているにすぎないのです。
貼られたものが壁になって、意識になって、傷になります。それでも、前を向きたい気持ちがあったなら、わたしは歩いていける気がします。
わたしにとって、先輩との出逢いは最高の出来事でした。時間が少しずつ、不安や葛藤を、特別なことではなくしてくれると思います。
先輩がわたしに前を向くことを教えてくれたように、わたしも、心の傷や悩みを抱えている人を支えていきたいです!!話せたことで、夢への思いも強くなり、自分を見つめ直すこともできました。
「Happyコミュニケーション」1〜5まで、大学2年目に感じた思いでした。
2005.03.22
Happyコミュニケーション・4
わたしは、人と話すのが怖いことやときどき感じる不安を、発音や傷跡のせいにしてきました。
はじめて怖さを話せたとき、「怖いのは人見知りのせいなんじゃない?」という言葉をもらいました。それもあるかもしれない・・・だけど、わたしが持ってきた感覚が、人見知りの性格になったのかな??と感じたんです。
気持ちが楽にならないまま、時間が味方をしてくれました。
不安や怖さを、障がい (病気) のせいだと結びつけることは簡単だということ。だけど、この気持ちをそのせいにしなくてもよくて、思い込みが怖さを生んで意識になっているということ。この性格なんだと構えたほうが、よっぽど楽だということ・・・。
このことに気づくことができて、はじめて話せた人が言ってくれた言葉を、やっと実感として理解することができました。病気のせい (いまいち、障がいというか病気というかはわかりません。ですが、それぞれの価値観、とらえ方によって決められるのだと思います) でこうなったのではなく、わたしはもともとこの性格で、たまたまこのこととつなげてしまったんです。
トラウマを消すことはできません。思い出すこともあるでしょう。でも、そのことと性格は一緒にしなくていいと言い聞かせることにします。
自分の殻に入りそうなときも、この構え方に気づけてから、少しだけですが気持ちが楽になりました。
はじめて怖さを話せたとき、「怖いのは人見知りのせいなんじゃない?」という言葉をもらいました。それもあるかもしれない・・・だけど、わたしが持ってきた感覚が、人見知りの性格になったのかな??と感じたんです。
気持ちが楽にならないまま、時間が味方をしてくれました。
不安や怖さを、障がい (病気) のせいだと結びつけることは簡単だということ。だけど、この気持ちをそのせいにしなくてもよくて、思い込みが怖さを生んで意識になっているということ。この性格なんだと構えたほうが、よっぽど楽だということ・・・。
このことに気づくことができて、はじめて話せた人が言ってくれた言葉を、やっと実感として理解することができました。病気のせい (いまいち、障がいというか病気というかはわかりません。ですが、それぞれの価値観、とらえ方によって決められるのだと思います) でこうなったのではなく、わたしはもともとこの性格で、たまたまこのこととつなげてしまったんです。
トラウマを消すことはできません。思い出すこともあるでしょう。でも、そのことと性格は一緒にしなくていいと言い聞かせることにします。
自分の殻に入りそうなときも、この構え方に気づけてから、少しだけですが気持ちが楽になりました。
2005.03.21
Happyコミュニケーション・3
「何を言っているかわからない」と言われても言い返せなくて、言い返したとしても伝わらない、だとしたらわたしはどうしたらいいの・・・?
この気持ちから楽になりたくて、話せる人に苦しさを打ち明けて、しばらく泣いて・・・泣くのも嫌になった頃に思ったんです。落ち込むところまで落ち込んだら、上がっていくしかないんじゃないか?つらかったことに気づいたから思い出しちゃったこともあって苦しくなったけれど、それは自分に気づけたことなんじゃないか?またこの悪循環に出会っても、支えてくれる人がいて、わたしは一人じゃない・・・と。
ボランティアを通して、一生懸命伝えようとしていることを一生懸命受け取りたいと感じました。このことは確かなんだけれど、状況を変えよう、変えなきゃと意識しすぎている自分もいました。とにかく自分から何かしなきゃと思いすぎていました。しかしそれが、逆効果になっていました。ときどき不意に襲ってくる不安を、自分のなかに溜めていってしまい、吐き出せる場所があっても、そのことにおびえすぎていました。人と関わることが怖くなって、どんどん臆病になって、自分から殻に住みついて、自分から怖さを作っていました。
わたしは焦っていたようです。もっと力を抜いてもよかったみたいです。
気にしていても進まないし、進めないんですよね。苦しくなったときは仕方がなくて、そんな自分のことも受け止めて、そこからまた前を向こうと思えば自信もついてくる。わたしは、必死になって自分を受け止めようとしていたのだと思います。
大学で福祉を学んでいると、色んな言葉 (単語) が出てくることは当たり前です。でもわたしからみて、好きではない表現や、言ってほしくない言葉だったこともありました。それが自分のなかに残ってしまい、その場から逃げ出したいというより消えたくなったのです。言った相手 (先生) がよくないとかではなく、ただそこにいることがつらく、自分が切り離されている気分になってしまったのです。
「自分が思っているほど相手は気にしてないかもしれないから・・・気にしてないっていうのは話してる声ってことね」
この言葉をもらって、わたしは感じました。 怖がらないで、自然に話しても大丈夫なのだと。相手に言ってもらった言葉は、もっと気持ちを楽にして信じてみてもいいのだと。それを、うまくできていませんでした。
相手の言葉を信じたくても、これまでの感覚からすぐに離れられなかったのです。これがトラウマと言うのでしょう。ずっと(19年間)、誰にも話せないできたことなので、相手の言葉を受け止めて自分に取り入れることに時間がかかったのかもしれません。
勇気を出したい。少しずつ心を開きたい。いつでも自分にできることは、困難に出会ってもなんとか乗り越えたいという気持ちを持つことなんだと思います。
この気持ちから楽になりたくて、話せる人に苦しさを打ち明けて、しばらく泣いて・・・泣くのも嫌になった頃に思ったんです。落ち込むところまで落ち込んだら、上がっていくしかないんじゃないか?つらかったことに気づいたから思い出しちゃったこともあって苦しくなったけれど、それは自分に気づけたことなんじゃないか?またこの悪循環に出会っても、支えてくれる人がいて、わたしは一人じゃない・・・と。
ボランティアを通して、一生懸命伝えようとしていることを一生懸命受け取りたいと感じました。このことは確かなんだけれど、状況を変えよう、変えなきゃと意識しすぎている自分もいました。とにかく自分から何かしなきゃと思いすぎていました。しかしそれが、逆効果になっていました。ときどき不意に襲ってくる不安を、自分のなかに溜めていってしまい、吐き出せる場所があっても、そのことにおびえすぎていました。人と関わることが怖くなって、どんどん臆病になって、自分から殻に住みついて、自分から怖さを作っていました。
わたしは焦っていたようです。もっと力を抜いてもよかったみたいです。
気にしていても進まないし、進めないんですよね。苦しくなったときは仕方がなくて、そんな自分のことも受け止めて、そこからまた前を向こうと思えば自信もついてくる。わたしは、必死になって自分を受け止めようとしていたのだと思います。
大学で福祉を学んでいると、色んな言葉 (単語) が出てくることは当たり前です。でもわたしからみて、好きではない表現や、言ってほしくない言葉だったこともありました。それが自分のなかに残ってしまい、その場から逃げ出したいというより消えたくなったのです。言った相手 (先生) がよくないとかではなく、ただそこにいることがつらく、自分が切り離されている気分になってしまったのです。
「自分が思っているほど相手は気にしてないかもしれないから・・・気にしてないっていうのは話してる声ってことね」
この言葉をもらって、わたしは感じました。 怖がらないで、自然に話しても大丈夫なのだと。相手に言ってもらった言葉は、もっと気持ちを楽にして信じてみてもいいのだと。それを、うまくできていませんでした。
相手の言葉を信じたくても、これまでの感覚からすぐに離れられなかったのです。これがトラウマと言うのでしょう。ずっと(19年間)、誰にも話せないできたことなので、相手の言葉を受け止めて自分に取り入れることに時間がかかったのかもしれません。
勇気を出したい。少しずつ心を開きたい。いつでも自分にできることは、困難に出会ってもなんとか乗り越えたいという気持ちを持つことなんだと思います。
2005.03.20
Happyコミュニケーション・2
わたしは大学の合間に、ときどきボランティアをしています。そのなかで、心を動かす出会いがありました。身体障がいの方が主に参加している、パソコン教室のサポートをしていたときでした。
言葉があまりはっきりしない子の隣につくことになりました。彼女は、パソコンを覚えようと一生懸命でした。わからない箇所があるとわたしに聞いてきて、わかりやすいように説明すると、本当に理解したときに、身振りつきで、「わかった」という返事をくれました。「今、コミュニケーションは確かに成立したんだ」、この何気ないことに嬉しさを覚えました。気持ちが伝わりあうことは、すばらしいことで、このことにいつもは気づいていないだけなんだなぁと。
気持ちをうまく受け取れないときは、その状況から相手の気持ちを推測してみる といいのだと思います。それで、もし考えていたことが同じだったら、嬉しくなります。違っていたら、「今度こそ」と思います。聞き返すことは、よくないわけではありません。どうしてもそれが必要なときもあるからです。しかし、何度も言い直しをさせると、そのことに敏感になってしまい、話すことが嫌いになるケースもあると思います。
発音について客観的にみたことはほとんどなかったわたしにとって、相手の気持ちや言葉をよく聴くこと、話す楽しさや安心感を感じられるように付き合うことがとても大切だと感じました。意識させてしまうと、話す楽しさがわからなくなります。話す楽しさは、意識させない環境のなかで芽生え、育っていくのではないでしょうか?
自分が彼女の立場に普段は立っているからこそ、一緒にいて楽しかったと感じてもらいたい、相手にとってサポートしてもらってよかったと思われるわたしでいたい・・・と強く感じました。
自分の経験があるから、同じような境遇の人を思える。話す楽しさを伝えたいという気持ちがあふれてくる。苦しいとかつらい気持ちであっても、それは自分の財産になって、夢につながっている。過去の事実は変わらないし、完全に消えることもないけれど、その意味はあとから変えることができると信じたい。
夢への思いが高まった出来事でした。
言葉があまりはっきりしない子の隣につくことになりました。彼女は、パソコンを覚えようと一生懸命でした。わからない箇所があるとわたしに聞いてきて、わかりやすいように説明すると、本当に理解したときに、身振りつきで、「わかった」という返事をくれました。「今、コミュニケーションは確かに成立したんだ」、この何気ないことに嬉しさを覚えました。気持ちが伝わりあうことは、すばらしいことで、このことにいつもは気づいていないだけなんだなぁと。
気持ちをうまく受け取れないときは、その状況から相手の気持ちを推測してみる といいのだと思います。それで、もし考えていたことが同じだったら、嬉しくなります。違っていたら、「今度こそ」と思います。聞き返すことは、よくないわけではありません。どうしてもそれが必要なときもあるからです。しかし、何度も言い直しをさせると、そのことに敏感になってしまい、話すことが嫌いになるケースもあると思います。
発音について客観的にみたことはほとんどなかったわたしにとって、相手の気持ちや言葉をよく聴くこと、話す楽しさや安心感を感じられるように付き合うことがとても大切だと感じました。意識させてしまうと、話す楽しさがわからなくなります。話す楽しさは、意識させない環境のなかで芽生え、育っていくのではないでしょうか?
自分が彼女の立場に普段は立っているからこそ、一緒にいて楽しかったと感じてもらいたい、相手にとってサポートしてもらってよかったと思われるわたしでいたい・・・と強く感じました。
自分の経験があるから、同じような境遇の人を思える。話す楽しさを伝えたいという気持ちがあふれてくる。苦しいとかつらい気持ちであっても、それは自分の財産になって、夢につながっている。過去の事実は変わらないし、完全に消えることもないけれど、その意味はあとから変えることができると信じたい。
夢への思いが高まった出来事でした。
